【 音階などによって変わるムード 】
北インド古典音楽の考え方に「ラーガ」があります。
ラーガとは直訳的には色彩を意味し、指定された音階や動き方などの最低限の決まり事を軸に、あとはその歌い手さんや奏者さんにその表現を即興のままに委ねます。
例えば、Raga Hamsdhwani(ハンスドワニ)という白鳥のラーガは、5音階でそれはサレガパニとなります。ドレミでいうと、ドレミソシですね。
この5音階の並びの印象は、明るく優美で、確かに白鳥のように美しい感じ。
このように音の組み合わせで、印象はずいぶん変わります。
温かい印象。
冷たい印象。
暗い印象。
神聖な印象。
などなど、それらの組み合わせは無数に存在します。
【 ラーガにはそれぞれの季節や時間帯がある 】
それぞれのラーガは、演奏されるべき季節や時間帯など決まっているものが多く、それは「内と外」が瞑想的に繋がっていくものです。
雨の時期に雨のラーガ
満月とともに月のラーガ
日の出の刻とともに朝のラーガ
などなど、500種類から1000もあると言われています。
ラーガは「今」、つまり「宇宙」と「私」を音を通じて繋いでくれます。
【 宇宙樹の展開 】
身体と音との繋がりも、インドならではの神秘的な哲学があります。
ラーガを歌う、奏でることは、即興で行います。
「即興」と聞くと難しい印象を受けるかもしれませんが、別の表現でを使うなら「委ねる」「明け渡す」という感じでしょうか。
ここがラーガの最大の魅力かもしれませんね。
真ん中の音をSaと言いますが、この音が大地だとします。
大地であるSaから根っこを降ろすように、下の音を少しづつ「紹介」する訳ですが、その1音1音に対して、どういう想いやストーリーがあるか。
を、実際に歌ったり奏でたりしながら、その「紹介音」に対して、フレーズを幾つか置いていくことで、その1音の可能性が描かれていきます。
そのような感じで、低音域まで音を伸ばし、、
下まで行ききると、
大地であるSaより、少し上の音を「紹介」していきます。
葉っぱが少しづつ、その「紹介」とともに伸びて、更に上の方の音を、、、、葉はぐんぐんと伸び、、、
やがて、オクターブ上のSaに到達。それらを「紹介」する頃には花が咲いていくイメージでしょうか。
このようにラーガという「宇宙樹」が、その時の心のままに展開されます。
もしくは「曼荼羅」を描いていく作業にも似ているかもしれませんね。
【 チャクラや瞑想体験として 】
チャクラとも密接に関係するラーガと音の世界は、丁寧に心を寄せ、歌い奏でることで、心と身体が自然に整ってきます。
ラーガのなかで、宇宙樹の展開を丁寧に続ける中で、初心者のうちは、「頭を使って」の状態が続きます。
しかし、そのラーガの軸であるChalanを正しく学び、何度も何度もこの宇宙樹の展開を繰り返すうちに、少しづつ、補助輪を外していくように、マインドから離れていくことができます。
その頃には、ラーガ自体が自分の中で、泉のように流れ出し、それを明け渡した状態となります。
「歌っている・奏でている」「行為している」自分を客観的に「見ている状態」です。
この状態に辿り着くまでには、少し時間がかかります。
時間がかかりますが、練習を繰り返せばそれは必ず起こります。
また、ラーガを歌う・奏でること自体は、その道筋自体がそうであるがゆえに、それぞれのチャクラにエネルギーを貯めることにもなります。
これらの事については、体得してはじめて感じれる感覚ですから、日本ナーダヨーガ教会では、「毎朝の身体と呼吸と声のワーク」や「声で学ぶラーガWS」、「NADA YOGA指導者コース」において座学解説とともに、日々の反復練習、実践を大切にしています。
【 NADA YOGA・ラーガの歴史】
NADA YOGA・ラーガの歴史を辿ればインド古来、バラモン教の宗教哲学をまとめたVEDA(知識)にたどり着きます。
「NADA YOGA指導者コース」ではこれについて、どのように繋がっているのか。どういった経緯を辿って、我々のもとまでたどり着いているのか。を学ぶことで、私たちが実際に奏でるラーガやキールタンの音にどれだけの神聖な歴史が詰まっているかを知っていきます。
ここでの詳細記述は割愛します。
【 ラーガを学び続けることで得られるYOGA的成長 】
これらのことから、ラーガの世界を正しく学び、修練を重ねることで少しづつ、内と外の繋がりを深め、人間的成長を深めることができます。
私もほぼ毎年インドに渡り、師から18年ほどラーガを学び続けていますが、少しづつ、時間をかけて、その魅力が解き明かされてきたような感覚です。
先にも触れましたが、「頭を使って」の時期は、修練期間の序盤です。
しかし、この期間に正しい練習を反復する必要があります。
基盤をしっかりと固めた後にしか、それは起こりませんが、少しづつ、「自由」を得るようになります。
「自由」のためには、「不自由」と感じてしまうような地道な「練習」を繰り返すしかありません。
ただ、幸いその地道な練習自体も、瞑想的で楽しかったり、自分らしさを存分に許されているのがラーガの世界の魅力とも言えます。
私は、このラーガの世界を始めた頃よりはずいぶんと「生きやすさ」を感じています。
いい意味で「こうしたい」「ああしたい」が無くなってきてるんですね。
もちろん、以前は若すぎたこともありますが、歳を重ね、それとともに、いくつかのラーガを心のままに演奏できるようになってきた今は、
朝、奏でたければ、太陽とともに「日の出のラーガ・Bhairav」を奏で、
雨が降れば「雨のラーガMegh」を、
と、宇宙自然が見せてくれる美しいグラデーションとともに、ただ在るだけです。
そして、それには上下がない。
自も他もない。
その歌い手さんが良しとする「その時描いたラーガの絵」が儚い音たちとともに、現れては、消えてゆく。
その人だけが知る「ラーガから繋がる宇宙」が、そこにあります。
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